2017年5月4日木曜日

【陰隲録】功過格表66 ネバーエンディング権力闘争 三十善 出家神職帰依させよう④





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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

一人の受戒弟子を度す。




そもそも、出家や神職というのは、身分、職業上の話です。

しかし、ここに一つの問題が生じています。

出家や神職の認定条件とは何でしょうか?

この問題が何時の時代でも発生しています。



【権威】


本来、宗教とは現世から離れた世界での価値観で動いています。

当たり前の話ですが、人間如きに評価されなくても偉大なる神に評価される方がマシです。

むしろ、神のために働いた結果、世界から迫害されるのが宗教の本義です。

世間様から迫害されると、宗教信者は法難だとみんな大喜びです。

新約聖書にはローマ帝国から迫害されて大喜びするマゾなキリスト教信者がいっぱい出てきます。
(まあ開祖が迫害マゾのイエスですし)




ところが、宗教も堕落してくると、世間の評価を受けたい不心得者が増えてきます。

社会的に権威の有る出家神職認定を受けたい輩が出てきます。

この社会的と言うのは、俗世間だけでなく、属する宗教業界という意味もあります。

神仏から人間への直接ルートが本来の宗教ですが、時代が下ると、神仏と直接コンタクト出来ない堕落した(普通の)人間が増えてきますので、宗教的権威は神仏ではなくて、中間の宗教組織になります。

要するに権威ある教会寺社から認定を貰うのが宗教的なステータスとなるのです。



百歩譲って、受ける側にそんな気がなくても、人間はベストセラーの「影響力の武器」にもあるように、権威に影響されるので、布教するのにも権威がある教会寺社のお墨付きがあると愚民の受けが良いのです。

正しい法を広めるのならば暫定的に方便として人間社会のこうした権威から貰う必要があるのです。

ここに、信仰と布教の矛盾が存在します。



【胡散臭さの宝石箱や~】



皆さんの中に新興宗教を作ろうと思ってる方がいらっしゃったとしたら(いないと思いますが)、まず問題になるのは、この権威付けです。



およそ、世の中の中で一番怪しい職業は新興宗教の教祖様です。

新興宗教だけでも怪しいのに、さらに教祖様と来たらもはや、倍率ドンで、もはや怪しさの総合デパートです。

その怪しさレベルは、ヤクザやマルチ商法や在日と同レベルです。

これはどんなに成功して大組織になっても同じです。

世間は新興宗教というだけで偏見(偏見なのか?)の目を向けるのです。



しかし、不思議なことに、これが伝統宗教だと途端に世間の態度は真逆になります。

天台宗の座主です!となると、途端に何かありがたい存在になるのです。

出家にしても、
「曹洞宗に出家しました!」
となると、
おお、その年で出来た方ですねえとなりますが、

「全財産を寄付して幸福の科学(別にそれ以外の新興宗教でも)に出家しました!」
となると、うわぁ・・・という反応をされてしまいます。

これが権威の力です。



【消防署の方から来ました】


このため、歴代の新興宗教は、発足時には伝統宗教の皮を被って創立させています。

そっちのほうが布教に楽だからです。

伝統宗教だと騙されて入ってくるカモも結構いるのです。



もちろん、上手く大組織になったら伝統宗教の皮はポイ捨てします。

これの成功例としてはユダヤ教の泡沫セクトから脱皮に成功したキリスト教やイスラム教、バラモン教からの離脱組の仏教などがあります。




ちなみに、化けの皮を脱がないまま、元のパクリ元を殲滅させて、自分が本家本元だと乗っ取るパターンもよくあります。

例えば、儒教などは従来の葬式呪術屋だったのが孔子によっていつのまにか道徳宗教になってしまいました。

このパターンは、復古主義や原理主義を名乗って、
「今の教義や組織は堕落している!」
として、こっちが本家本元だとする手法です。

そもそも、このパターンは、大乗仏教やプロテスタントなどが良い例でしょう。




宗教組織は数百年もすれば、政治権力と癒着して腐敗化、硬直化、権威化するので、どうしてもこういうロジックで責められる余地を残しているのです。

管理社会が徹底していれば、即座に弾圧出来るのですが、中央権力が弱体化していたり、外国にまで普及していると、弾圧がされにくいのです。

鎌倉仏教が普及した理由は、西の貴族権力(平安仏教)の基盤に対抗した東の武士権力の基盤があったということも重要なのです。



【自己責任】


上記の通り、結局、権威というのが人間社会の権力基盤とつながっている以上、出家というのは、結局、権威が重要になってきます。

要するに本人がどんなに素晴らしい法灯と思っていても、世間から見れば、新興宗教のうわぁ・・・な状況に見えてしまいます。

しかし、結局、こういうのは本人が幸せかどうかの問題ですので、最終的には本人の自己責任なのですが、陰徳を施す側としては、なるべくまともな出家認定を支援したいところです。


こう言ってはなんですが、神仏からお告げを貰ったと電波を口走る変人や、怪しい新興宗教だって数世代後には伝統宗教になっている可能性すらあります。

ぶっちゃけ当時の人間では、その宗教がどうなるかは、わかりにくいのです。

キリスト教だって当時のローマ帝国では、
「弱者を食い物にする怪しい新興宗教」
くらいの認識だったのです。

日本でも念仏や題目はいかがわしい新興宗教だったし、明治から戦前の新興宗教は今や半ば伝統宗教扱いされている所も多いのです。

結局、権力闘争に数世紀勝ち残れば由緒正しい伝統宗教扱いになってしまいます。


とは言っても新興宗教への出家を支援するのはリスクが高いでしょう。
結果が数世紀後というのはリスク過ぎます。

まあ、無難に伝統宗教への出家の支援という形で陰徳を施すのが良いのではないかと、豊河は思います。

※別に新興宗教を差別しているわけではありませんので、新興宗教の出家支援をしたい方は自己責任でお願いいたします。


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