2017年5月30日火曜日

【陰隲録】功過格表81 この感情を作ったのは誰だあ! 三十善 無法者を教化しよう⑤







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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

◯一人の非為人を勧化し行いを改めしむ。





さて、3つめです。

③神仏と取引するための通貨。


後天的神

神仏が人間や生物と同じように、食物(人間の感情)を得るのであれば、当然、人間⇔神間、神⇔神間の、取引が生じます。

仏教(インド思想)では天人はお供えの香りを摂取すると言われています。
より高いレベルの生物の神仏だともはや、お供えは、食物の香りではなくて、抽象的な感情エネルギーになります。

当然、その感情の種類は、慈悲や感謝と言った善的な物から、悪意や憎悪と言った悪的な物があります。

まあ、単純に考えて前者を摂取する生き物が神仏で、後者を摂取する存在が悪魔です。

ちなみに、人間の感情とか食わんわ!という人類以前から存在している自然神なども当然いるでしょう。
ここで言われているのは、どちらかと言うと、人間が生まれてから作り出した、神や悪魔なのかも知れません。

人間は、呪術や式神や生霊などでも分かる通り、自分の気や感情を投射するスキルを持っています。

善い感情で作られたイメージは、独立しても善い感情をエネルギー源とする後天的に作られた神仏となり、逆は、悪い感情をエネルギー源とする悪魔となります。

死後の世界もこのように、人間の想念が作り出した世界があります。
思考は現実化するというキャッチコピーの通り、神々やあの世も後天的に、人間の想念が構築するのです。



取引先の選択

まあ、先天的か後天的かはともかく、世の中には、そういう得体の知れない輩がいて、我々人類の上位存在として存在しています。

ある意味、寄生しているとも言えますが、それは家畜に対する人間にも言えることです。

我々はそうした存在と取引をしているわけです。
その通貨は、神仏なら陰徳(などの善い感情)です。
悪魔ならマイナス感情です。

一応、このブログでは開運のために陰徳を勧めていて、取引先企業は神仏にしているわけです。

しかし、取引先の選択は当然皆様にあるのですから、強制は出来ません。
神仏はいけすかねえから、悪魔の方がいい!
という方もいらっしゃるでしょう。

ぶっちゃけ、やめといたほうがいいですよと豊河は思いますが、まあ本人の自由ですので・・・。
※なんか、死後に魂取られそうですし。

まあ、神にしても旧約聖書時代のヤハウェは、どう見ても、イスラエル人たちと、焼肉目当てで契約してます。
毎日焼肉持って来いと命令してますし。

当然、神仏と悪魔では、要求される感情エネルギーが違います。
悪魔に慈悲の感情を出しても、雄山ばりに拒否されるでしょうし、逆もまた然りです。




ゲット(される)だぜ!



さて、そんな取引先との契約ですが、別に契約方式にしなくても、対価が得られれば、勝手に手伝ってくれます。

例えば、皆さんだって、すんごい美形の異性がいれば、請われなくても勝手に、ちやほやするのと一緒です。

向こうからすれば、ヒャッハー!ご馳走だー!となるのです。
当然、利のある人間として勝手に保護してくれます。
ましてや、のこのこと自分のテリトリーに入ってきて参拝していれば尚更です。

レアなポケモンゲットだぜ!となるのです。
神仏から見た我々が。
ゲットされる立場にこちらがなるのです。



水は方円の器に随う


そんな感じですが、要するに、契約の対価として、人間側は神仏に出す通貨は、善い感情です。

この善い感情エネルギーですが、慈悲にしろ感謝にしろ、仁義礼智信にしろ、当たり前の話ですが、人間が出す物です。

ところが、人間は、体があり、さらに社会に存在しているため、感情含めた思考、つまり精神は、肉体や社会に依拠します。
要するに、肉体と社会によって、ころころ変わってしまうのです。

特に良い感情は、肉体と社会が安定していないと出しにく代物です。
プロに成ると、外界がどうあっても内面を平静化出来るスキルを持てるのですが、普通はそうはいきません。

韓非子にあるように、水は方円の器に随うのです。
ドアの外で借金取りがガンガン扉を蹴っているようでは、良い感情は出しにくいでしょう。

憎い相手がいる状態では、慈悲の感情は出しにくいのです。
電車でトイレに行きたい緊急事態では、神聖な気持ちは出ないのです。


思考と行動の矛盾

特に、善い感情は、この外界依拠の傾向が、別な意味で強いのです。
それは、善悪の行動をしていると、それに引っ張られるということです。

例えば、殺人をしているとしましょう。
人間は罪悪感や因果応報の思考が後天的に、インストールされているので、殺伐とした思考や後悔の念で満ちていれば、慈悲の感情は出しにくいのです。

行動で悪行をなしていて、思考で善いことを思うのは、矛盾となります。

懺悔でいくらかは緩和出来るでしょうが、現状進行形の悪行では、それにも限界があります。

認知不協和の原則で、人間の精神は矛盾を解消しようとします。
悪行を正当化してしまうか、善い思考が無駄なことだと正当化してしまう恐れが高いのです。
何せ行動の方が思考より、インパクトのある行為なのです。

これにより、善い感情が出せなくなるという結果に陥ります。


布施と戒律の存在意義



あらゆる修行体系の中で、戒律がなぜ、あるのかはこれが理由です。

仏教でも戒定慧と、戒・定・慧がトップに来ます。
集中した修行環境の構築のためでもありますが、精神的に悪い子としていると、善い感情や気が出せないという理由だからです。

さらに、在家用だと、出家よりも軽い戒律と同時に布施の指示も出るのです。
大乗仏教では、六波羅蜜と言って、戒・定・慧とは別のカテゴリ分けがあります。

布施・持戒 -「利他」
忍辱・精進 -「自利」
禅定・智慧 -「解脱」

の六種類ですが、やはり布施と戒律がトップに来るのです。

この二つは、陰徳で言えば、積善と改過です。
良いことをするのと悪いことをしないということで、陰徳を積むのと一緒です。

布施は実質的に、お金を払うのと一緒です。
お金じゃなくても、労力や時間などを投入します。
これらは、現代ではコストと言いますが、実質的にお金に換算出来るものです。

要するに、神仏がお金をご入用というのは、
「取引の通貨となる、善い感情を出すために、布施を含めた陰徳」
という意味なのです。




さて、4つ目ですが、また長いので次回へと続きます。



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