2017年6月21日水曜日

【陰隲録】功過格表103 よろしくてよ、とか、ですわ、 とか喋るお嬢様は実在するのか? 三十善 冤罪を救おう⑤




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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

◯一人の冤を白にす。





信用制度


冤罪に関する事例に、周りの人の信用度という概念があります。

冤罪を受けても、周りの人間関係が良好なら、被害を受けにくいのです。
冤罪のダメージは社会的な損害がメインです。

痴漢冤罪などは、刑期にならなくても、家庭や職場での社会的信用が失われるためダメージが大きいのです。

しかし、逆に言えば、社会的信用がダメージを受けなければ冤罪の被害は大したことはありません。

冤罪は双方の社会的信用の毀損行為で、呪術合戦と同じです。
どちらが信用されるかは、冤罪発生時のやりとりよりも、双方の信用度に左右されることが多いのです。

早い話が、ローマ法王に、ヤンキー娘が痴漢冤罪をしかけたとしてもあまり効果は無いでしょう。
信用度が違うからです。


オーホッホッホッと笑うお嬢様を見たことが無い


よく、ドラマや少女漫画で、狡猾な悪人が、表向きは人格者で裏では悪質なイジメを行っている設定の作品があります。
被害者が訴えても、周りの人が信用しないというやりとりです。

これは、可哀想な純真な被害者(ヒロイン)を擁護するように見えるのですが、実は重要な指摘を孕んでいます。
この悪役キャラのやってることは、実は、信用というものがいかに重要なのかを示唆しているのです。

どういうことかと言うと、変な言い方ですが、悪役は裏でのイジメはともかく、表向きはヒロインよりも、陰徳を積んでいるのです。

周りの信用を得るために、挨拶を心がけ、愛想を振りまき、プレゼントを上げ、面倒を見てあげているのです。
つまり、自分勝手なヒロインよりも、陰徳を積んでいるのです。

少女漫画の金髪ロールのイジメっ子キャラは、陰徳キャラでもであるのです。
まあ、イジメをしていることは普通にマイナス陰徳なので、物語の終盤にはヒロインに逆転されてイケメンの恋愛争奪には、失脚するのですが。

少なくとも、人間関係で陰徳を積んでいるため、その陰徳効果で、主人公に冤罪を着せられるほどの、周りの信用は得ていたのです。


低所得層向け陰徳


大乗仏教の六波羅蜜(修行法)では、布施が一番目に来ています(布施波羅蜜)。
この布施は、一般に言われる陰徳です。

しかし、この布施は、お金を出したり智慧を出したり権力を使ったりと、色々と難しいものでもあります。
次善の策として、無財の七施というものがあり、

眼施:好ましい眼差しで見る。
和顔施(和顏悦色施):笑顔を見せること。
言辞施:粗暴でない、柔らかい言葉遣いをすること。
身施:立って迎えて礼拝する。身体奉仕。
心施:和と善の心で、深い供養を行うこと。相手に共振できる柔らかな心。
床座施:座る場所を譲ること

房舍施:家屋の中で自由に、行・来・座・臥を得させること。宿を提供すること。


こんな風なレベルの布施もあるのです。
布施は陰徳と同じなのですが、要するに現代風に言えば他者に対する礼儀やマナーです。
人に不快感を与えない、ということでもあります。

先程のお嬢様キャラは日頃から、家庭の教育でこのような陰徳を日頃から実施しているため、ヒロインをイジメても社会的な信用を得ていられていたのです。

しかし、この無財の七施は所詮、通常の布施(陰徳)が出来ない人向けの下位の布施(陰徳)です。
お嬢様は、下位の陰徳を実施していましたが、イジメという上位のマイナス陰徳で徳分を減らしていいたため、恋に敗れてしまたのです。

皆さんはすでに通常の陰徳(無財の七施ではない金を出している上位の陰徳)をして、神仏の信仰も深く、ただでさえ、不可視の領域の護りはついているのですが、さらに、下位のこの陰徳もすれば、もはや鬼に金棒です。

庶民のヒロインを見下し、靴に画鋲を入れたり、机に落書きをする嫌がらせをする金髪ロールのお嬢様は、生まれがお嬢様ということで前世の徳はかなりの量があったのでしょう。
生まれの徳に奢って、陰徳を積むことを怠ってしまったのです。

もし、お嬢様が、下位の無財の七施の陰徳だけでなく上位の布施陰徳も実施していたならば、可愛いだけしかとりえのない泥棒猫のヒロインに恋の争奪戦で敗れることはなかったのかも知れません。

しかも、舞台が現代物だと、お嬢様は恋に敗れる程度で済んで、しかも改心していい人になることも多いのですが、時代物の舞台だと、恋に敗れるだけで済まず、家が失脚したりなどのもっと酷い目に合うパターンが多いのです。

前車の覆るは後車の戒め。
我々は、敵役の、このお嬢様の失敗を反面教師として、陰徳道を歩んでいかなくてはならないのです。



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