2017年6月7日水曜日

【陰隲録】功過格表89 ネバーエンディング・時間軸 三十善 無法者を教化しよう⑪




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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

◯一人の非為人を勧化し行いを改めしむ。






悲しみの連鎖

前回までの話の通り、因果律の話で、原因と結果は連鎖しています。

結果は新しい原因を生み、それがまた結果を生みます。
ビリヤードの球の如く、どんどん果てしなく連鎖していくのです。
それは、まるでぷよぷよの如く。


逆を言えば、現在の全ての原因は、時間軸のさらなる前における何らかの原因の結果なのです。


風が吹けば桶屋が儲かるという言葉があります。


現在で言うところの、バタフライ効果で、あまり関係ない事項が、思わぬ連鎖で繋がっているという論理(屁理屈)です。

大風で土ぼこりが立つ
→土ぼこりが目に入って、盲人が増える
→盲人は三味線を買う(当時の盲人が就ける職に由来)
→三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される
→ネコが減ればネズミが増える
→ネズミは桶をかじる
→桶の需要が増え桶屋が儲かる

という原因と結果の連鎖です。


善悪の因果応報も同じです。
単純に因と果が連鎖して終わりではなく、それが果てしなく連鎖していきます。





世界の果てまで




そのため、因果は、どんどん時間軸に遡って、遡及することが出来ます。

原因の原因は何か?
その原因の原因は?

無限に時間軸を遡れば、やがてスタート(ゴール)に辿り着くはずです。




このゴールに対しては、東洋と西洋の考えの違いがあります。
東洋だと遡ってもまたぐるりと一周するような円運動ですが、
西洋だと一直線のイメージです。



アリストテレスは、この宇宙を起動させている、原因と結果の連鎖運動の始めの初撃を、
第一原因(不動の動者)と呼んでいます。

この不動の動者と絶対神の相性が良いのは言うまでもありません。
後に、この考えは、キリスト教神学にも影響を与えています。
神の存在証明の論理は四つありますが、その一つに数え上げられているほどです。



この、東洋と西洋の考えの違いは、
円環と直線(螺旋)という、世界観の違いです。

これは、進歩の観念の有無と言ってもいいでしょう。

東洋は、円環の世界観のため、進歩もへったくれもなく、
同じことの繰り返しという世界観を持っています。
そのため、存在自体に、積極的な価値の付与をしていません。
所詮は、意味も無く、ぐるぐるとハムスターの滑車のように回って、いずれは悟ってエスケープする場所だという認識です。

西洋は神の初動による無からのスタートから始まり、
やがてゴールの黙示録までの進歩史観なのです。


元々、ユダヤ教の、神との約束の地の概念や、虐げられた我々の復讐を実施してくれる救世主という観念が元の宗教体系です。
救済対象が、ユダヤ人から信じる者に変わっただけです。
世界が終わった後は、天国で永遠の生活が待っているのです。





東西共通基盤



この両者の世界観に違いはあれど、実は、善悪の原因と結果の因果律の考えは同じです。
善人は救われ、悪人は裁かれるのです。

厳密には、仏教やキリスト教には、決定論や六師外道や大乗仏教の空論など、この因果応報に反する考えもあります。

が、個人の因果応報を否定する考えは、東西ともメジャーではありません。
恐らく、善悪の倫理道徳を無意味にする虚無主義を警戒しているのでしょう。

例えば、悪事をしても裁きがなければ、大衆の道徳実施率は低下します。
無我を基本とする仏教でさえも、因果応報は否定仕切れていません。





西洋東洋どちらの宗教にしてもやる事は同じです。
倫理道徳項目の基本は、時代や国が変わっても、大して変わりません。
我々、21世紀の日本人が、開運や後生を願ってやるべき倫理道徳も、大して変わらないのです。


宗教には基本、戒・定・慧の三段階の構造はみんな共通しています。
戒律を守って、修行して、叡智(wisdom)を得る。
この構造は、東西共通しています。

しかし行き着く先の慧の叡智(wisdom)の種類は、微妙に違います。
これは、絶対神の存在を認めるか否かの前提が違うからです。


しかし、最初の戒律の中身は、大して変わりが無いのです。
聖書の十戒も、仏教の五戒も中身は(絶対神の項目以外)大体同じです。

少なくとも、出家するような段階でなければ、やっていることは、どっちでも同じです。
大多数の人間はプロ宗教家にならないので、あまり関係ない話なのです。


洋の東西を問わず、無法者の条件は共通しています。
東西どっちも、陰徳を積んで開運することが、一番基本なので、

後はあまり気にする必要はありません。







因果の連鎖の話はさらに、次回に続きます。


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