2017年6月9日金曜日

【陰隲録】功過格表91 ぶっちゃけ場所代の割合の方が高いと思います。三十善 無法者を教化しよう⑬





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功格五十条(善行のプラス50項目)
・善行の結果として、お礼の金や物品を受けた物を除く

三十善に相当する

◯一人の非為人を勧化し行いを改めしむ。






前回までの話で、
因果応報の因縁、原因と結果のネットワークは、
重々無尽に我々を拘束している話をしました。


そして、家畜奴隷の話もしてきました。
奴隷には自由意志がありません。
あっても、その自由意志を実現させることができません。


この二つは密接に関連しあっています。

今までダラダラ述べてきたことを、統合しましょう。


前回のおさらい




絶え間無い、因果応報の連鎖は、ビリヤードの球のように、
原因と結果を生み、結果は新しい原因となって、無限に連鎖しています。

原因→結果→原因→結果→以下延々と続く。

こんな感じです。

そして、それは一本の連鎖だけではなく、無限の因果応報の連鎖が、相互に球突きしています。
生物、非生物問わず、天文学的な球の連鎖反応が、この地球上で起きているのです。

この網目から逃れる者は誰一人としていません。


あらゆる人間、
王も貴族も資本家も、労働者も奴隷もサラリーマンも、老若男女全ての人間が対象です。

あらゆる動植物も微生物だろうが、天体だろうが全ての存在が対象です。

六道のあらゆる階層の存在も対象です。
神だろうが悪魔だろうが、天人だろうが餓鬼だろうが地獄の鬼だろうが、全てはこの重々無尽の網(ネットワーク)に囚われてない物は1人もいません。


みんな因果という名の蜘蛛の巣にひっかかっている囚人なのです。




もっと言えば、時間軸と空間軸の次元に我々は囚われています。
(少なくとも我々は時間と空間のフィルターの認識を通して世界を見ているためそれ以上の次元を認識出来ない)

それにより、原因と結果という時間軸の因縁と、
身体と他者と環境という空間軸の因縁のネットワークに関係性を結ばざるを得ないのです。






ここまでは前回までの話の通りです。


で、ここから話が始まります。






ブルジョアカレー



因果応報のこの連鎖は、当然、我々を拘束するものであり、我々の人生に、干渉します。

例えば、以前の記事で、過去のカルマが現在の環境を決定するため、善悪の行動の難易度が上がる話をしました。
我々の、思考や行動は、この因果連鎖の結果の環境の影響を受けるのです。


で、問題はここからです。


例えば、今週の日曜に、高級ホテルのレストランで、
5000円のカレー(ブルジョアジーか!)を食べる予定があるとしましょう。
↓ちなみに、5000円のカレーは、こんなのです。
http://rocketnews24.com/2012/10/02/253600/

さて、この、因縁は、知り合いの社長から、ホテルレストランのタダ券を貰ったことが原因です。
タダ券を貰った(原因)→5000円カレーを食べに行く(結果)です。

もっと因縁を遡れば、タダ券を貰ったという結果の原因がさらにあります。
善悪の因果応報だと、このタダ券を貰った原因は、過去に、貧困者に寄付をした陰徳が原因かも知れません。

さらに細かく見れば、レストランのタダ券と言っても、メニューは色々あります。
なぜ、メニューの中から、カレーを選んだのか?

当然、カレーを選ぶという結果に対する原因があるはずです。

直接的には、数日前に、テレビやネットでカレーに関する情報を見たことを覚えていたのが原因だとしましょう。
善悪の因果応報的には、昔、カレーを貧乏な後輩におごってあげたことがあるのかも知れません。

いずれにしろ、思考も行動も、過去に遡って原因がありますし、
空間的に、カレーを食べに行くという条件が整っていたという原因があったからこそ、カレーを食べに行ったのです。




選択肢




さて、ここで、問題が生じます。

以上のカレーの話は、ただの人生の一つのイベントです。

しかし、このイベントだけでも、思考と行動に、因果応報の原因と結果の因縁の連鎖があるのです。

で、この因果応報の干渉はどこまで、我々人間の思考や行動に、どのくらい干渉するのでしょうか?

一割くらい?
三割くらい?

もしかして五割行ってしまうのでしょうか?

ここで、我々は、恐ろしい事実に直面します。

ここまで考えたら、誰しもが、思いつく考えです。


「ひょっとしたら、10割?」
「思考と行動の百パーセントが、原因と結果の連鎖の中で、作られている?」
「我々の思考と行動は全て、過去からの因果で決定されている?」
「自由意志という物は一ミリたりとも存在しない?」
「自分の意思と思える、今の我思うゆえに我ありという意思すらも、全て?」
「因果の連鎖の中で決定されている代物ではないだろうか?」

と。




やっぱり終わらなかったので、次回に続きます。

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